着たきりすずめの涙
自宅に戻ると洗濯物がすべてなくなっていました。
結構大風がふいていたのに、気軽に干して出かけてしまったからです。
自分で戻ってこないかな
糸の切れた凧の如き身軽、を志しておりますので、ワードローブは冬物ミカン箱1個、夏物半箱、すずめの涙ほどしかもっておりません。
そして気合いを入れてそのほとんどを干してしまった私は、いま、
明日着るものにも難渋しております。
と表向きはしょんぼりしておりますが
明日の衣を決める手間が省けたな
と内心せいせいしております。
ところで、こんな私でも時には他人の衣服の心配をすることがあります。
それは身体を拘束されている依頼者の衣服です。
暑くないかな、寒くないかな、
季節の変わり目になるとやはり気になります。
暑くなっても入浴の機会が限られていますから着替えだけでもと思いますし、寒くなれば風邪をひかないようにしてほしい。
また、留置場に入れる衣服には決まりごとがありますから紐がついているものは入れることができません。よく刑事裁判の被告人がジャージを着ているのはそのためです。男性だってすこしは格好のつく服をきたいでしょう。
女性なら下着もかなり種類が限られます。恥ずかしい思いをさせないようにしなければなりません。
さらに裁判の時には、それなりの恰好をさせたいな、と思います。
そのことが直ちに裁判に直結しなくても、人は見た目が9割ですから、
ジャージにはだしにつっかけのいかにもという格好ではなくて、じゃなくて、せめて外の人と同じくらいの普通の恰好をさせてやりたいなと思います。
身柄を拘束されている被告人、という特殊な立場ではなく、普通の一人の人間として扱ってほしいという思いもあります。
刑事事件の被疑者・被告人に、衣類の差し入れをしてくれる親族がいることは、決して当たり前のことではありません。本来は衣類などを差し入れてくれるはずの家族と完全に絶縁状態になっていることも少なくありません。
自分の服も決められない私に心配されることなどあってはならないのです。
もちろん中では衣類も貸してくれますし、洗濯もしてくれます。
しかしあとちょっとの手間はかけてもらえません。
衣類の心配をしてくれる家族がいる、という一見些細なことが本当に素晴らしいことなのです。
ところで、実の親族からも見放されている私に、接見の度に丁寧にファッション指南をしてくださった依頼者がいました。
私もせっかくですので、一生懸命、教えに従っていました。
ええ、頑張りましたとも。
判決後、最後の接見に訪れた自分史上最高のお洒落の私を見て、師匠はつぶやいておられました
せめて人並までは教えておきたかったな・・・・・・・
・・・・せめて人並までの距離を教えていただきたかったです。
平成24年9月12日 文責 弁護士 菊谷淳子