ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

雪のフル街にて

DSC_0303.JPGDSC_0324.JPG
雪の降る街に来ています。 雪がまだ残っていたので雪だるまを・・・・顔つきが邪悪なのは、気のせいです。 実は今日はキリスト教の復活祭の日です。復活したのは確かイエス・キリストです。中高6年みっちり学校で教わったはずなのに、いざとなるとうろ覚えです。学校で授業のときに見せられた「キリストの一生」というビデオに出ていた主役イエス・キリストが何だかへらへらして薄気味悪かったので、信者になりそびれました。人は見た目が9割です。あれがオーランド・ブルームジョニー・デップだったら、私も・・・・いや間違いなくわが校の卒業生はほとんど入信していたと思います。   ところで、本当の死刑で人が復活することはまずありません。だからこそ間違いは絶対にあってはなりません。もちろん死刑に限られたことではありません。無実の罪で刑務所に入る人があってはならないのです。   ですから刑事裁判で一番大切な事は「10人の有罪被告人を外に出すことになっても、ひとりの無辜(無実の人)を処罰してはならない」ということです。   被安易な状況証拠で判断せず、きちんと証拠に基づいて事実認定を慎重に行い、「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則を踏んだ上、かつ適正な手続きを踏んで得られた証拠かを吟味して事実関係を判断し、量刑をさだめるのが本来のありかたです。死刑判決ならなおさらのことです。  最近裁判員判決で死刑判決がでましたが、裁判員裁判で果たしてそれがなされたのか、そもそもできるのか、私にはわかりません。   ある事件で安易な裁判を行うことはその事件に限った問題にとどまらず、悲惨な冤罪を生み出す土壌となるのですから、事実関係についてきちんと判断し、捜査手続きの適法性もきちんと吟味しての結論であってほしいと思います。   もうひとつ、テレビでコメンテーターが「次の控訴審ではプロが判断します」と人ごとのように言っていたことが気になります。第一審は前座ではありません。   ところで、写真の夜景には、夜景の中に「ハート」を見つけると幸せになれるという「ハート伝説」なるものがあります。写真を上げておきますが、決して必死で探してはいけません。   必死で探すと、正解を知った時に衝撃をうけますから・・・・・    平成24年4月15日 文責 弁護士 菊谷淳子