私のおひな様は超合理主義者だった祖母が選んだ2体の市松人形。よくみかけるひな壇のおひな様とは違って家来の方々もいません。家財道具もありません。身軽です。
ただ、私も母もああいうお祭りにあんまり興味はなかったので、自分から飾ろうとしたことはありませんでした。
そんなおひな様でも、せっせと季節に取り出して飾ってくれ、せっせと片づけてくれていたのは父。少しでも、いや少しは女の子らしい子に育って欲しい、という誠に切実な願いがこめられていたような。父上、かたじけない。
ところがある日、律儀な父が腰を抜かす事態が。
女びなの首、行方不明。
巨体ですから首がないのも迫力があります。
驚天動地の父、白髪になりそうなくらい必死で捜索したそうです。
さて女びなの首の意外な行方は最後に書きますが、今日は父親と子供の関係について少し書きたいと思います。
婚姻中親権は夫婦共同で行使しますが、夫婦が離婚した場合、日本では母性が優先されますから特別な事情がないかぎりは子供の親権は母親が持ちます。(例外についてはまた後日)ですから離婚すると大抵は母親のもとで子供が暮らすことになります。
このこと自体は日本の家族法の沿革の反省に基づくもので、直ちに批判されるものではありません。なぜなら戦前の家長制度の元、親権は父親にしか認められなかったことから多くの子供が母親から引き離されたり、母親が子供を奪われることを恐れて理不尽な婚姻生活に耐えなければならなかったことが多々あったからです。
しかし、子どもと引き離される方の父親にとってはなかなか子供に会えないことになります。離婚に際して、面会交流についての規定をきちんと取り決めたとしても、それが守られるとは限りません。別居親にとっては切実な問題です(続きます)
平成24年3月1日 文責 弁護士 菊谷淳子