ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

ありふれた違和感

わがボス(⊙◞౪◟⊙)は身だしなみをとても気にします。

 

「なんとか先生を送る会」に出席するぎりぎりの時間に事務所を出ても スーツのの色が違っていたら、タクシーを飛ばして戻ってきます。

 

 私は、スーツの上下なんか少し違うくらいなら時間に間に合わせるほうを選ぶなあと思って眺めていました。

 

 そんな或る日、裁判所に向かう途中、乗り換えの大手町駅で ふと足下に違和感を感じ下をみると、

 

右足にいつものハイヒール左足は事務所用サンダル•(΄◞ิ౪◟ิ‵ )

 

事務所を出る直前靴を履き替えているときに電話が・・・・ 大手町駅には薬局しかありません。

 

大手町から事務所に戻れば40分はロスします。期日に遅れるわけにはいきません。違和感と人様の視線は感じますが平然と歩き続けるか・・・・

 

 さて、今日は違和感を感じることについて。 死刑制度反対の論拠として、よく言われる「冤罪の場合とりかえしがつかない」というものがあります。 私はこれにはとても違和感を感じます。

 死刑制度の是非の話はここではおいておきます。

 私が違和感を感じるのは「冤罪」は理由にならないのではないかなと思うからです。  冤罪の場合取り返しがつかないのは、死刑に限らないのです。 たとえば「痴漢冤罪」で、逮捕され、勾留【留置場にとめおかれること】されてしまったら。 無実を主張すればすぐには出してもらうことができませんので、もちろん勾留されてしまいます。勤め人であれば会社に休む理由を言わなくてはならなくなります。20日間も理由を聞かずやすませてくれる会社なんてありません。いったん解雇されれば、実は無実だったことを理由にもとの状態に戻すことはまず無理です。

 痴漢冤罪で逮捕され、将来を悲観してその日にメトロ早稲田駅で飛び込み自殺をしたという痛ましい事件も何年かまえにあったばかりです。 冤罪自体は死刑でなくても非常に当事者に酷な結果を招くことは変わらないのです。

 冤罪で、社会的に葬りさられれば、回復不能になることもあるのです。 死刑だけが冤罪での取り返しがつかないこと、ではないのです。

 

 さて、大手町駅には靴屋はありませんが、薬局はあります。

 

 248円の包帯を二本買い、左足をぐるぐるまきにし、 左脚をひきずって法廷にむかいましたとも へへへ    

    平成28年10月31日  文責 弁護士 菊谷 淳子