ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

おいそぎの車

八ツ墓村で運転免許を取った時、卒検を7回受験したのですが、その6回目に思わぬアクシデントがありました 

 前を霊柩車が通ったのです 

救急車やパトカーと同じ「緊急車両」と勘違いして徐行し、大幅減点を食らった私、 

教官は、

   あれはお急ぎじゃないから

と落ち着いて教えて下さいました。  

「緊急車両」というのをぼんやり「珍しい」「業務車」とくくって覚えていた私。 

(΄◞ิ౪◟ิ‵ )実はゴミ収集車も含めていたなんて教官にはとても言えませんでした。 

さて、ある法律家がおっしゃっていたことで少し気になったことがあるのでそのお話を。 
 その方は「同性愛を認めるなら同じくセクシャルマイノリティ小児性愛も認める必要がある」と言っておられました。 こういう本格的で多分に主観の入る議論は余り好きではありませんが、私が思いますに 同性愛と小児性愛は本質的に違います。
 同性愛はあくまで成熟した大人と成熟した大人の対等なつきあい。 他人がどうこういう筋合いのものではありません しかし小児性愛は必然的に他方が子供。判断能力は大人とは違います。 対等な大人同士のつきあいではありません。
 だからこそたとえ本人の同意があったとしても犯罪となるのです。愛ではありません。 DV加害者が暴力はオレ流の愛情表現だと言っても単なる傷害は傷害なのと同じ。 
 それは「愛する」ということが「相手を対等独立した人間として扱う」ことを当然の前提としているからです。 同性愛は「対等独立の人を愛する」ものですから、それは間違いなく愛です。 犯罪ではありません。そこにこの両者の大きな違いがあります。
  どちらも単なるセクシャルマイノリティという枠に入れてしまうことは同時に同性愛への非情な偏見なのではと疑ってしまいます。 そしてその偏見のせいでまるで犯罪者のように同性愛者が逃げ隠れしなければならない世の中となるならば、まさに末法の世、蛮族の地です。
  素人が本能的嫌悪感であれこれ言うのとは違います。法律家なら少数者として生きていくことの大変さに対する想像力、思いやりはもつべきでなかろうか、と思うのです。

 さて、八ツ墓村で教わったお作法の仲に、教本と違うものが多々ありまして。それが本当に使えるのか迷っている知識もございます。

 今でも自信がないのが、例えば教習所一恐ろしい元レディースの教官から教わったこれ 

 「道を譲ってもらったら、パッシングで挨拶しましょう」って教本にはかいてあるけど、 絶対にしたらいけんよ 

パッシングっちゅうのは バトル開始  っちゅう意味やけんね~   
   平成28年10月11日  文責 弁護士 菊谷淳子