ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

蒼い長い一日

光化学スモッグがんがんの工業地帯で育った私は、「東京にはそらがない」と言ったという高村智恵子に軽く反感を抱いていますが、青い空は美しいものです

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 シュノーケリングに勤しみます。遊んでいるのではありません。

 

食料調達ですƪ(΄◞ิ۝◟ิ‵)ʃ

 

 冗談ではないのです。私は南の島で一日数時間かけて、生きるために必要な水と食料の確保にいそしんでおります。

 

 さて、よく大学受験などで、こういう話を皆さんお聞きになったことはないですか? 「恋愛もバイトもせず受験にだけ集中するとゆがんだ大人になる」 大学受験だけではありません。司法試験の世界でもこのような論調がまかり通っています。

 必死で勉強すると性格がゆがむというのは、本当でしょうか。 もし、必死で努力して一つの事だけをすることが人間をゆがませるのなら、何十年もひたすら研究を続けノーベル賞をとった湯川秀樹朝永振一郎、京大の山中教授はどうなのでしょうか

 たとえば野球選手が、トレーニングに集中せず、練習は五時まで、終わったらキャバクラに通い、練習時間を削ってテレビに出たりして、それでいてそのシーズンの成績が悪かったら?たぶん世間とスポーツ新聞とファンからフルボッコにされると思います。

 野球だけしているのではなく、社会経験を積み人格研鑽につとめているのだから、成績なんかわるくてもかまわない、すばらしい、とは誰も言ってくれません。 決められた時間内に、自分の能力をフル稼働させ、できるだけの成果を上げなければならないという場面は勉強だけでなく、どんな仕事にも要求されます。そんな時にほかのことを我慢して徹底的にその一事に集中することは必要です。

 そのトレーニングが「勉強」です。 こと「受験勉強」だけが、人間をゆがませる、というのは定型的な偏見にすぎません。誰だって必死で勉強せず合格したりよい成績が収められればこんないいことはありません。でも大多数の人間は必死で勉強しなければそうはできません。

 私だって、中学・大学・司法試験は、まぬけなしゃれこうべが顔面に浮上するくらい勉強しました。そうしないで合格できるほどの天分は持っていませんでしたので。 そして私がもし仕事を依頼するなら、すべてを我慢してでも一心に何かをすることができる人に頼みたい、そう思います。 そんなわけで、司法試験の受験勉強は悪だ、というのは迷信だと私は思っているのですが・・・ 230.JPG

 

 さて、日々の食糧確保ですが、最初は確かに必死でしていました。でも、 水は雨水の濾過のほか、ウォーターバインという大きな木の蔓を切ってゲットできます。 食料はその日の思いつきでとってくるのですが、要領よくこなせてくると、半日でその日の仕事は終わります。

 そうすると娯楽の時間ができてきます。 木の枝でふえを作ってみたり、木琴のようなものを見よう見まねで作ってみたり、 土器を作ってみたり、かごを作ってみたり、生活が割と豊かになってきます。 村人が驚くほどの順応ぶり。

 

ところで、ボス、大事なお話が。

 

 村長から、そろそろ家畜飼え、ってすすめられてるんですがƪ(΄◞ิ۝◟ิ‵)ʃ

 

 平成27年9月30日 文責 弁護士 菊谷淳子