ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

摩訶不思議の国への旅 その5 インド版結婚できない男

インド摩訶不思議の国 089.jpg 個人旅行ですが、それなりの地域にも入るので、ガイドさんを手配してもらいました。 日本語と英語をほぼ不自由なく操り、みなりも割とぱりっとした、「くれよんしんちゃん」をこよなく愛する40代半ばのお坊ちゃん育ちのおっさんです。 すみません、私はひそかにオボッサンと呼んでいました。 ボッサンはまだ独身であらせられます。 独断と偏見と上から目線の独壇場が多く、 店の店員には割と横柄で、 さりげに自慢たらしいし ・・・・ボッサン、それは日本でもちょっとキツイと思うよ、・・・・   ボッサンは、この国では僅か13%しかいないイスラム教徒です。しかも、この国ではイスラム教徒の間にもカースト制度があります。(よく、ヒンドゥー教徒からカーストを避けるために改宗・・・・と書かれたブログなどを見ますが、イスラムにもカーストは存在します。) 大体の場合、インドでは苗字でカーストや出身地が分かるようになっているので、カーストを偽ることはまずできません。   インドでは異なる宗教間はもちろん、異なるカーストの間では通常結婚できません。結婚どころかともに食事をすることもありません。訪問もしません。あまり会話もしません。カーストも上の方になれば少なくなります。さらに大まかに別れている4つのカーストの外サブカーストと呼ばれるさらに細分化されたカーストがあります。(ボッサンは上から2番目のカーストですが、そいうところに前述の言動の一因があります。)   とするとボッサンが結婚できるチャンスは1%未満です。   まあ、インドは10億人の人口を抱えるとしても大いに同情するべき事情はあるのです。   カーストという制度が、本来「神の前では平等」という思想をもっているはずのイスラム教徒にも存在することは驚きでしたが、それほど深く根付いたものなのです。   実はインドの憲法ではカースト制度は禁止されています。しかし実際にはカーストをなくしてはインドは語れないくらい、強く根付いています。   平等権という考えは決して普遍的な考えではありません。生まれ、性別など自らの意思で変えることのできない事由で取り扱いに不平等をもたらすのは不合理に思われますが、それは私が日本の憲法の考え方で物事を見ているからです。   カーストごとにそれぞれの職能が決められており、それ以外の仕事をすることができません。こまかいことを言うと、豆を売るカーストと米を売るカーストすら区別されています。究極のワーキングシェアです。   どうも私にはそれぞれがその与えられた宿命を受けとめ、置かれた立場で必死に生きているようにもみえました。また決して上位ではないのにその場所は自分の場所、ほかの人には入れない。そいういうプライドをもって生きている姿も観ました。平等の価値としての重みについて考えさせられます。    実をいうとインドでも異なるカースト間での結婚はありえないわけではありません。そういうときの便法が    「前世からの縁」だそうで    結構柔軟な運用もしているのです。 でもやっぱり・・・・ 前世からのご縁すらスルーのボッサンの現状は、絶対にカーストのせいなんかじゃないと私は思っています。     平成24年7月25日 文責 弁護士 菊谷淳子