ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

亜熱帯の夜の夢②

眼をこらしてよく見ると、うつろな目をしたおばあさんが一人。ふう。手に持っている光るものは気になります。生まれてこの方誰にもかけたことのない優しい声でまた話しかけてみます。 「おばちゃん、部屋まちごうてるよ?」なんだからちがあきません・・・・御自分のお名前も定かではないようです。   あ、その光るものは鍵ね。どれどれ。  幼児、高齢で自分の考えていることを伝えることができない状態にある人に出会ったら、本人達が言いたくても言えないことはないか気になります。何かの虐待を受けている人ではないかということはどうしても頭をよぎります。  私は、虐待は苦しみが続くという意味で確定的殺意をもって死に至らしめられるより更に残酷な行為ではないかと考えています。さらにいえば確定的殺意をもって死に至らしめるよりは後遺障害が残る可能性も高いのです。後遺障害はその人の残りの人生をさらに過酷なものにします。  にも拘わらず虐待をして結果死に至らしめた場合には、殺人罪より軽い罪で裁かれることになります。 「「殺すつもりはありませんでした」の残酷さ(平成24年3月12日)」でも書きましたが、殺意の有無が本当に大事なのでしょうか。せめて量刑で、死よりも残酷な事実を評価できないのだろうか、と思います。  もうひとつ、そもそも虐待は力の弱い者に対して起こります。そして被虐者が上げるべき声すら持たないことも殆どです。上げるべき声を上げられないまま、徒に苦しみだけが続くことは何としてでも防止したいものです。  なもんで、折角だし少し様子を見てみようと思い、とりあえずお茶を入れてあげたら機嫌良く娘時分のお話しをしてくれました。困っていることもなさそうです。手足など見える範囲でチェックしてみましたが、大丈夫そうだったので、お部屋にお連れし、同行の方に引き渡しました。  ご家族には勝手に疑って申し訳ないのですが、最近は物騒な時代ですから。  あのホテルの昭和民家トイレレベルのセキュリティーはまだ健在です。怖い思いはしましたが、なんだかまだ残っていてほしい気もします。沖縄にはまだ昭和が沢山残っていますが。商店街を歩くと懐かしい感じがします。沖縄にとって経済発展という意味では単純によいことといえないかもしれませんが。  ところで、朝食の際、わがボス井浦謙二にこの話をしたところ、「ええっ!それは本当に危ないところでしたねえ・・・菊谷さんが返り討ちしてたらと思うと本当に恐ろしいところだった。来週も期日がいっぱいだし・・・・」 ボス、その時は那覇まで毎日接見来てください。お待ちしておりますよ 平成24年5月2日 文責 弁護士 菊谷淳子