4歳のまなちゃん(仮名)のパパはある日からおうちに帰ってこなくなりました。
それからしばらくたって、まなちゃんはママに紙をもらって絵を描くようになりました。まんなかに四角い箱を書いて、そのまわりに線がぐるぐる書きました。
まなちゃんは、同じ絵を何まいも何まいも書きました。
そして、まなちゃんはおうちの外にその絵を貼りに行きました。
まなちゃんは、パパがおうちに帰る道を忘れてしまっても帰ってこれるように、地図を描いたのです。
夫婦が突然別居したとき、子どもはどうしてお父さん(お母さん)に会えなくなったのか理解できず、すべてではありませんが大抵の子どもはとても会いたがります。
もしかしたら、まなちゃんのパパもまなちゃんに会いたいと思いながら何らかの事情で我慢しているのかもしれません。むしろそうであって欲しいと思います。
夫婦が別居する理由は様々ですから、別居や離婚を批判しているわけではありません。また、別居親が子供に会えない理由にもさまざまな事情がありますから、その全てを問題にしているわけではありません。
ただ、弁護士として最近特に気になることは、何の障害もないのに、子供に会おうとしない父親(母親)が意外に多いことなのです。こちらから「子供に会ってやってもらえませんか」とお願いしても無視されることが少なからずあることです。
別居親と子が手紙・電話・直接の面会で交流することを面会交流といいます(昔は面接交渉と呼んでいました)。もちろん子の両方の親が合意の上で定期的な面会が決められればそれにこしたことはありません。調停または審判で定めた場合には、不履行の場合には裁判所による履行勧告、最終的には間接強制も行うことができます。離婚が成立していなくとも、別居中の場合でも同様です。
では子供自身が別居親に会いたいから面会しろと求めることはできるのでしょうか。そもそもこの面会交流はそもそも誰の権利なのでしょうか。
子どもの権利条約は「締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する(9条3項)」として、父母との交流を子の権利として定めています。
しかし日本の判例・通説では面会交流は「親権者・監護権者でないため、子どもを現実に監護教育できない親が、その子と会ったり、手紙や電話をすることができる権利」としています。もっとも、面会交流の趣旨としては「子どもの健全な成長のため」というお題目を上げてはいますが。
残念ながら、子供自身がお父さん(お母さん)に会いたいということを実現するための制度ではないのです。
欧米では両親の離婚に際し、子ども自身の意志を直接反映する制度を設けようとするが1960年代後半から起こっていました。そして、アメリカ各州で離婚時の監護権訴訟において子どもの意見を聞き、その意見を裁判所の判断の要素とするべく、子どもに代理人をつけ、その意思を代理させようとする制度が浸透していき、現在では47の州法で規定が置かれています(但し内容については様々です)。もっともこの制度は紛争を複雑化してしまうという側面もあることから、たとえばルイジアナ州では「子どもの代理人」は訴訟が熾烈で長引いているか、弁護士が裁判所に重要な情報を与えうるか、親が子に安定した環境を与えていないか、など「子供の利益になる場合に限り」裁判所が任命することになっています。
日本では親権者・監護権者を定める際に、調査官が調査をすることにより、子どもの意思にも一定の配慮はしています。しかし日本では正面から子ども自身の家事事件における権利性、主体性が認められているわけではありません。
もちろん子どもは精神的に未成熟な面があり、徒に子どもの意志を尊重するというのは考えものだとは思います。 しかし親との関係・交流の在り方については子ども自身の意志がが直接反映される手段があってもよいのではないかと私は思います。
まなちゃんは最近ママに、「パパは何歳までまなちゃんのことを可愛がっていたの?」と尋ねるそうです。
2012年1月9日 文責 弁護士 菊谷 淳子