ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

となり村のおとぎ話④

 赤頭巾は自分の絶対的な無実を知っていましたが、前の弁護人がなんと本当に懲戒されてしまったことに弁護士どもがみな怖気づいてしまったことに絶望していました。   赤頭巾が刑期を終えて出所後、赤頭巾は土佐鶴弁護士を訪ね、再審請求をしたいから検証してくれないかと頼みました。土佐鶴弁護士は懲戒される直前まで必死に検証していたことを知っていたからです。  赤頭巾と土佐鶴弁護士は死に物狂いで「日本語を話す狼」のしっぽをつかみ、再審請求をすることになりました。めでたくないけどめでたしめでたし。  さて、被告人が不合理な弁解をしている場合、弁護人はいかなる態度を取るべきか、ということは弁護士倫理の中で非常に大きな問題です。通常、明らかに不合理な弁解は裁判官から「反省していない悪情状」ととらえられるため、被告人には不利な結果をもたらします。しかしその不合理かどうかの判断は事件記録を慎重に検討した裁判所が行うものです。国民感情ではありません。  そもそも国民感情は何に基づいて発生するものでしょうか。実際に記録を読み、被告人の話を聞いて出来上がるものでしょうか。テレビ、ネット、新聞などのメディアで流れる情報だけで出来上がるものではないのでしょうか。  一件不合理な弁解であっても実は真実である場合が全くないわけではありません。人間の行動はすべてが合理的というわけではないからです。ですから不合理に見えてもその被告人の主張が真実であるという可能性は十分にあります。被告人の訴えを弁護士が検証もせずに排斥すれば誰が被告人のための弁護活動を行うのでしょうか。   刑事弁護人が、国民感情からの批判、特に懲戒請求を恐れて弁護活動を行う、これはゆゆしき事態ではないかと思います。頼れる総本山はそう思っていないようですが。    もうひとつ、もし、本当に呼びかけ通りの何十万もの懲戒請求が来れば、少なくとも小さな弁護士会の機能はマヒする可能性があります。少なくとも経費は膨大です。機能麻痺に耐えかねた弁護士会には、被懲戒請求者を処分する以外に手だてがあるでしょうか。ある事件で実際に来た懲戒請求が総数約7500通であり、しかも1つの弁護士会に集中してはいなかったとしても、今後そのような事態は起こりうるのです。  数の力は大きいのです。  人を裁く重さの意味とは個別具体的な事情の元に本当にその被告人が有罪か、本当にその量刑でよいのか慎重に集中して検証する作業の重さではないかと私は考えています。  その作業にギャラリーの国民感情は関係あるのでしょうか、国民感情は何から出来上がるのかを考えれば結論は明白だと思います。  え、私ですか、そりゃあ懲戒請求は怖いですもの。国民感情に反する弁護なんてめっそうも・・・・・ごほ      平成24年7月4日 文責 弁護士 菊谷淳子