1月17日、この日がくると、この一年一生懸命生きてきただろうか、と振り返ります
関西出身者には忘れることのできない阪神・淡路大震災の日です。
自宅の倒壊も大きなショックですが、駅も、道路も全部だめになっていて、立ち直れないのではないか、もう、自分たちはだめなんじゃないか、とまで思ったものです。
大きな余震が続く中、ただでさえ傾いている家がまたみしみし揺れる恐怖、
報道の大きなヘリコプターが近すぎて、轟音が鳴り響き、家がまた揺れる恐怖。
もう少し思いやりをもって高いところを飛んでくれたらいいのに、そう思いました。
思いやりは想像力の産物です。
外国籍の同級生たちの多くは最寄りの避難所へは行きませんでした。
近所にも倒壊した家のなかでじっとしている外国人家族が大勢いました。
神戸は古くから定住している外国人も多く、普段は仲良く過ごしていたのに。
私たちにとっては歴史となった過去でも、彼らにとっては将来おこるかもしれない不安なのです。異国の地で、ライフラインを絶たれたまま、倒壊するかもしれない自宅にそれでもじっとこもっていた彼らの恐怖・不安を思うと胸が痛みます。
しかし当初その恐怖を想像もしなかった私だって本当のよき友人・隣人であったのだろうか、と言われれば頭を垂れるほかありません。
大したことは何もできませんが、毎年この日が来るたびに、去年よりもう少し思いやりをもって人に接しよう、そして新しく迎えた1年を大切に生きよう、と思います。
東日本大震災で被災された方々に少しでも早く明るい日々が戻りますように。
1月17日 文責 弁護士 菊谷淳子