見てくれの誤算
大学時代からの長いつきあいの友人3人、つまり戦士のいないドラクエ一行、それぞれ中年にさしかかり健康情報に余念がないなか、うっかり再会してしまった負けず嫌いのガンジーにエントリー させられ しょぼいマラソン大会に出場
学生の頃はもちろん、ガンジーと私は相変わらずイラクとアメリカのような友好関係にありますが、まあ、こんなところでご一緒するのも何ですし、互いの健闘を祈って…
しかし私は忘れていました。
健康診断の結果に脅かされ、5月からジムに通ってトレーニングしていました。
絶対的に運動音痴のくせに、生来的筋肉質の私。
5ヶ月過ぎて、
たくましい上腕二頭筋、三頭筋、引き締まったふくらはぎ、マッチョなハムストリングス。
見た目だけものすごいアスリート(΄◞ิ౪◟ิ‵ )になってしまっていたのです。
さて、前回、前々回、生殖医療に右往左往する裁判について書きましたが、法整備が遅れている問題について裁判所が判断することはすごく難しいことではあります。
日本国憲法上、国民主権の下、立法府には広範な裁量があり、それは国民の議論で決めて下さいよ、というのが建前だからです。
ただ、ここで生殖医療については非常に難しい問題点があります。
それは、この分野は決して多数派の関心を集める問題になり得ないことです。
不妊治療などの分野はきわめて個人的な種類の問題です。ある人には大変深刻なのに、別の人には全く関係のない問題、そういうものに、多数派は鈍感です。セクシャルマイノリティや人種差別などの問題も然り。多数決による民主主義にはそういう問題点もあるのです。
5年やそこらで、その問題に直面しない多数派が問題を直視し、真摯に議論するかといえば、それは無理だと思います。それまでに生まれた子供の救済は…
ありうるとすれば、生まれた子供達が自らの人権救済を求めて立ち上がる20年先。
民主主義は一見公平で当たり前に思える制度ですが、実は本来的弱者、生来的少数者には救済の手がのべられにくい側面があり、それには何らかの手当が本当は必要でないか、と思います。
立法とは距離をおいている司法には、少数者の人権の砦として、多数派に疑問をなげかけるくらいはしてもいいのではないかな、と私は思います。
さて、予想外のアスリート出現に
期待する一行(⊙◞౪◟⊙)(⊙◞౪◟⊙)(⊙◞౪◟⊙)
ガンジーだけは、
イラクの兵器工場をみたCIAのような…(◞≼●≽◟◞౪◟◞≼●≽◟)
顔をしていました。
和平は遠い道のりのようです(΄◞ิ౪◟ิ‵ )
平成25年9月30日 文責 弁護士 菊谷淳子