死刑廃止論の主な(諸説あるでしょうが)根拠としては、「死刑は残虐」というものがあります
しかし世界には身体刑といって、手や脚を切り落とす刑罰もあります。
死刑と同じくらい残虐な刑罰がないわけではないのです。
古代中国では死刑より重い刑罰として宮刑というのがありました。
これは命そのものを奪うより、男子の尊厳を奪うことの方が人間にとってよりむごいことだという考えに基づきます。
命を奪うこと自体が何が何でも一番残酷なことではないのです。
またえん罪の場合取り返しがつかない、ということも死刑廃止の論拠のようです。
しかし、えん罪で取り返しがつかないのは、ちかんのえん罪事件でも同じです。
場合によっては社会的生命も家庭も完全に失います
ちかんの容疑を掛けられて取り調べを受けた直後、自殺した方もいます。
むしろ被疑者・被告人の家族にとってはむしろ強盗殺人の冤罪より取り返しがつかないことではないでしょうか。
私は、死刑廃止論がだめだと行っているわけではありません。
ただ、なんだかこう考えてみると根拠とするところが本当かな、と思うのです。
しかも現状の刑罰や刑事裁判にはもっといろいろ改善しなければならない小さな問題が沢山あるのです。死刑判決がでるような事件はそうそうにあるわけではありません。しかも死生観など価値観が大きくものをいう一種の宗教論争のような、遠い議論なのです。誤判によって取り返しがつかないのは、どんな事件でも刑事なら同じです。
そんな中で死刑だけ廃止を求める運動には、たとえて言うなら、
お向いのおうちに虐待で苦しむ子供たちがいるのを横目でみながら「アフリカの子供の支援をしに行く」ような感じを受けるのです。
死刑は刑罰として長く存在してきましたが、これを廃止するというのなら、終身刑もない我が国では、その根拠はもう少し納得のいくものを示さないと、感情的な議論に終始してしまうように思います。大切なことですから、十分議論を尽くして、それから廃止するかを決めればよいのです。
さて、なるべく死なないように努力しているのに、どうして皆から死んだことにされていたのか・・・・
ある同窓会報をみて、ややや
菊谷淳子 ○○年卒 2007年頃チベットにて消息を絶つ
誰ですか、そんな通知を出したのは。ありがとう、助かります。