ものはいいよう
夏の初め、実家から「あまりものを送った」という通知が来ました。
食べ物でもいただけるのか
と淡い期待を寄せておりましたところ、送られてきたのは、鈴虫の卵でした。
それから3か月
風情があります、このすずやかな音・・・・優雅です。
電話口で母がこういうまでは。
鈴虫の必死の婚活を見習うべし
どうして妻問、とか、せめて求愛とか、ましな単語がでてこないのでしょうか。
ものはいいようです。エサやりではなく陣中見舞いを差し出している気分です。
ところで、AさんがBさんを道路上で殴ってお金を奪ったら強盗罪という大変に立派な犯罪が成立します。しかし
同じことが学校の中で起こったら「いじめ」「わるふざけ」
という言葉にすりかわり、これもとんでもなく軽い扱いを受けてしまいます。強盗罪って結構重罪ですけど・・・・
裁判所が、死刑、という言葉は不穏でよろしくない。だから世間にも被告人にもショックを与えない、もっとこう、マイルドな言葉にしようではないか。と考えたとします。
主文
被告人をポアする
被告人がその重大性に気づかず、うっかり上訴し忘れるかもしれません。
いじめをなくす、という運動は無意味だろうと思います。人間も生き物である限り、本能的な弱い者いじめがなくなることはありえないからです。しかし、少しでもその数を減らし、被害を最小限に食い止めるために必要なのは「いじめ」という言葉をなくし、「傷害」「暴行」「恐喝」「強盗」という正しい言葉に置き換え、ごまかさずにその行為の重みを認識することではないかと思います。
言葉狩りをするなら、差別用語をなくそうというインチキ人権より、私はまやかし言葉を狩るほうがなんぼかまっとうな世の中を作るのに役立つような気がします。
ところで、私は鈴虫にせっせとにぼしを与え、タンパク質を与えてドーピングしていました。その結果、羽根と脚だけ丈夫になった鈴虫ども
残っているのは全部おじいさんです
平成24年9月18日 文責 弁護士 菊谷淳子