ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

神田川を下って

 誕生日祝い、ゴムボートが欲しいなあと言ってみました。

 いつぞやもかきましたが、神田川をボートで下って出勤するという野望、捨ててはいません。

 しかし実際に下るとしたら、荷物もあるしスーツはちょっとアレ、残念ながらその姿は椎名誠の小説のようなイメージではなくボートで脱北するような感じになりそうです。

 ところで、最近、難民認定申請中の外国人が刑事事件として摘発されていることがニュースで出ていました。不法滞在になった後に保護費の不正受給目的で虚偽の難民認定申請をした外国人、難民認定申請中で仮放免を受けているさなかに薬物の取引をした外国人。

難民認定申請制度の悪用によって本来の難民認定に悪影響がでないことを祈るのみです。

 難民というのは定義があり、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」方々のことを言います。単に知人に命を狙われている、故国で多額の借金がある等の理由では難民には当たらないのは当然です。ただ、弁護士の中にも明らかに要件に該当しないことを知りつつ依頼者の意向ということで難民認定申請を行うことがあるようです。

 目の前の依頼者を助けたいという気持ちは弁護士なら誰しも持つと思います。目の前の依頼者の言うことを何でも聞いてやるのが弁護士だという考えも、あるいは難民該当性はあくまで国が行うべきだという考えもあるかもしれません。

 しかし弁護士は法律の専門家ですから、明らかに法律に当てはまらないものをあてはまると主張することはすべきでないと私は考えています。本人が行うなら別ですが、弁護士がそのような申立をすると、本来は専門家であるはずの弁護士申立が軽んじられるようになり、ひいては本当に難民認定されるべき場合まで認定が受けられなくなってしまう恐れがあるように思うのです。

 

 何故に弁護士に法律家としての資格を与えられているのか、そこにはやはり法律家としての自重を前提としての信頼があるのではないかと思います。

 あくまで、法律で認められる手段を講じる、あるいは認められる余地が少しでもある手段を尽くすのが弁護士の仕事です。法律が間違っていれば憲法違反を主張して争うこともです。しかし法律の要件に明らかに当てはまらない主張をすることは、果たして許されるのでしょうか。

 残念ながら日本は、先進国の中でも難民認定の率が極めて低く、故国で信条、人種のため迫害を受け保護する必要性の高い方々にたやすく手をさしのべる国ではありません。そして1980年代に偽装難民が増加したことが原因でさらに認定が厳しくなったと言われています。

 そのような状況で国内の専門家が安易な難民認定申請を行えば、本当に保護されるべき方々の保護が今後さらに困難になるように思えてなりません。ですから目の前の依頼者の声を拾うことと、制度そのものをないがしろにする安易な申立を行うこと、との間には非常に葛藤を感じます。

  神田川、水量が少なすぎて一寸法師でもつっかえそうなのも残念です。

   平成24年4月27日 文責 弁護士 菊谷淳子