ミモザノヘヤ

高田馬場の弁護士の日記です。

神田川のほとりで

 雨が少したくさん降ると、やるきのない一級河川神田川もごぼごぼお仕事をしています。

この川をちょいとゴムボートで下ればうまいこと職場にたどり着けるのですが、目下ゴムボート物色中です。

神田川といえば、やはりあの、手ぬぐいをマフラーにして四畳半くらいのおうちで(ボスによると冷蔵庫はないのがデフォルト!)鍋で作るインスタント麺に、エアコンなし     ・・・・愛があってもはずみで殺意に変わりそうな生活を思い浮かべます。

 ところで、「神田川」でも歌われていますが、高田馬場近辺では銭湯がまだ少しあります。事務所から歩いて3分ほどのところにも銭湯がありまして(少し前に残念ながら廃業しました)、起案の合間によく通っていました。

自称不遇に突入する少し前の幼少期、私が住んでいた社宅には風呂がなく、4歳ころまで家族で毎日銭湯に通っていましたが、当時は他にも常連の家族連れが大勢いましたから、同世代の子供たちも結構いました。しかし今私が通っていた銭湯に子供連れはほとんどみかけません。みんな地元のお年寄りばかりです。この銭湯がなくなってみんなどこに行ったのだろう。お年寄りの足で隣町の銭湯は遠いだろうなあ。私だって、起案の合間に、というわけにはいかなくなります。

 銭湯というのは公衆衛生の目的から、公衆浴場法及び都の条例(公衆浴場の設置場所の配置及び衛生措置等の基準に関する条例)で規制されており、もともと設置基準に距離制限が設けられています。制定当時にくらべ自家風呂が増えはじめ廃業が続き、当時より減ることはあっても増えることはありません。

 公衆浴場法は昭和23年、都の条例は昭和39年に制定され、改正を繰り返してきた法律・条例ですが、べースはあくまで制定当時のままです。高齢化がすすむ今自家風呂が増えたとしても、たとえば独居のお年寄りが家のお風呂で事故(酒飲んで風呂に入って倒れるという意味ではありません)に遭うことを防ぎ、かつ他人と会う機会を作る場としての銭湯の役割があってもいいかなと思います。もはや公衆浴場の距離制限は無意味なくらい今となっては減る一方です。公衆浴場の維持が国民の衛生、とかではなく広い意味で国民の福祉、を目的とするようになれば今の法律はあんまり意味がないように思います。

 

 ところで神田川、普段はあまりすてきな川ではないのですが、桜のころにはとても美しい光景が広がります。ボートで下ればさぞ壮観。

 ちょっと高めのビニールプールは使えないかと画策するこの頃です。

   平成24年3月29日 文責 弁護士 菊谷淳子