2月3日、私が学生時代を過ごした京都では節分会の季節です。
京都では暴走族だって特攻服を新調するこの時期、私もなんだかそわそわします。
そうだ、豆まきがやりたい。ぱあっと、ぱあっと。
お子様に混じってスーパーで豆とお面を買い、さりげなく事務所のカウンターに置いてみる。豆まきしようよ、みんな。ねえ。
自称不遇の幼少期、幼稚園の担任に、「悪いことをすると鬼がくる」と脅されましたが、残念な事に私は鬼とゾンビとUFOは全く信じていないので「是非ご挨拶したく住所か電話番号を教えてたもれ」と言ったところ、お遊戯会で鬼の役をさせられた記憶があります。
でも大人になった今、「鬼」はあるのかもしれないと思う時があります。
普通の生活をしていれば、嫌なことだってあります。うめきたくなる程の時も。悲しくなることも。滅多に出会いませんが末代まで祟ってやりたくなる(ような、あくまでようなです)相手も時にはでてきます。
その時に自分の心にたまった一つ一つの恨みつらみ、怒りはあなどれません。
それが時には裁判所での紛争となってしまうこともあります。そうなってしまうと解決するのに手間と費用がかかります。たまった時と同等の価値の手間暇をかけて。
実は心にたまった一つ一つの澱こそが幸せに生きていくためには邪魔な「鬼」でないかと思うのです。例外はあるようですが多くの地域で「鬼は外」という掛け声をかけるのは、「内」にいる鬼を追い払うという意味なのではないかと最近よく考えます。
でも、できれば豆まきくらいで消えるうちに吐き出しておきたいものです。
豆まきがしたくてうずうずしている私はどうやらそれなりに「鬼」がたまっているようです。 豆まきで追い払える程度の・・・・
もちろん、お遊戯会で私が実行したように金棒でもがんがん振り回して「鬼」を心ゆくまで熱演する
・・・・と豆まきなんかよりもっとすっきりしますよ。ええ。
平成24年2月3日 文責 弁護士 菊谷淳子