凍ったクリスマス
魔界のクリスマスは美しゅうございます。今は魔女の私ですが、どすぐろい子供時代の想い出を少し。
幼稚園のころ、通っていた英語塾でクリスマス会という催しに出なければなりませんでした。
が、練習をしていくにつれ、まじめな両親にこれを見せていいものか。途中から真剣に悩むようになりました。
みんなで合唱する「Saw Mommy kissing SantaClaus(ママがサンタにキスをした)」という歌
I saw Mommy kissing Santa Claus Underneath the mistletoe last night. She didn't see me creep. Down the stairs to have a peep. She thought that I was tucked up in my bedmom fast asleep. Then I saw Mommy tickle Santa Claus Underneath ...
(和訳 寝たふりキンチョールで、はってのぞき見ていたら、ママがもみの木の影でサンタとキスをしてたんだよ♪)
CREEP(這う)PEEP(のぞき見る)
下を向いて歌わないといけないのではないか(΄◞ิ౪◟ิ‵ )
しかもクリスマスの劇のお話は登場人物が非常に複雑です。
主役聖母マリアとその子イエス、そしてお連れ様のヨセフ。マリアとヨセフは夫婦なのにイエスの父は「ネ申」です。
やはりまじめなうちの両親にみせるわけにはいきません。
どうしてこう、ろくでもない話ばかりなのか…
さて、法律は表向きにいわれている制度趣旨とは違う本音を持っていることがたまにあります。
例えば、親子。
結婚している夫婦の間で、入籍後に懐胎した子供はそのときの夫の子と推定される、という有名な条文がありますが(民法772条)。この規定があることによって、生まれてきた子供は、反対の主張・立証が裁判上でされないかぎり「嫡出子」として扱われ、戸籍にも夫の子として記載されます。
しかし、事実と違っている場合にこれを否定する「嫡出否認の訴え」は法律上夫しか出訴権者がいません。子供本人すらできないのです。
子本人にとって一番利害関係があるのに。
家族法の大好物「子の福祉」は建前です。別の男の子を産んだ妻と生まれた子に対する夫の嫌がらせの権利が本音じゃないのだろうか…
現在の民法の土台には戦前の家父長制度ばりばりのころの制度がそのまま残っています。「嫡出子」などと言う概念がそもそも残っているところが間違っているのです。そしてDNA鑑定で確実に親子関係が判別できる現代において、「推定される」「嫡出史として推定されない」「推定が及ばない」などと言う区別をもうけることに合理性はもうないのです。
親子関係に疑義のある場合はもっとシンプルな規定で間違いを正すことができるようにするべきではないか、子供の身分関係にペナルティを追わせる現行法の規定は非文明的で非文化的ではないかと思います。
さて、気に入っていた英語塾を辞めたくなかった私は、先生に内緒で英語劇の内容を少し改ざんし、その内容でこっそり練習をしました。
マリアは馬小屋付近であかんぼうを拾ってきてイエスと名付け、おとなしいヨセフに「しゃべったら大阪湾にしずめる」と口止めをしたのです。
まじめな両親と英語の先生は凍り付いて観ていました(΄◞ิ౪◟ิ‵ )
両親の心配していたとおりの魔女となった私ですが、今年は熱帯のクリスマスツリーを見に行く予定です。
皆様、メリークリスマス。
平成25年12月25日 文責 弁護士 菊谷淳子