ボス(⊙◞౪◟⊙)も私も同業者がらみのニュースはつい注目してしまうのですが、最近話題になっている、事務員にハイハイしながらすりよったと言われている議員さんのセクハラ騒動には注目しています。
ボスも私も不思議だなと思う事があるのです。
およそ私の知る限りでは、男子たるものこれから!という狙っている女性には最初は格好付けたがるもの。 ある程度の関係があり、受け入れられるであろうという確信ある状態でないとハイハイバブーなんてしないんじゃないかと思うのです。
余程変わった人なのかしら。 もちろん、最初っからどん引きされるような趣味全開で近寄る人もいますがそれは別の趣味です。
さて、赤ちゃんは赤ちゃんでも真面目な話を。 自発的な呼吸のできない先天性の難病で入院中だったイギリスのチャーリー・ガードちゃんについて、治療を続けたい両親と、尊厳死を勧める医師団の間で対立。両親はアメリカでの実験的な治療を望み渡航許可を求める裁判を起こしました。
イギリスの裁判所は、この治療計画では治癒する可能性が低く、チャーリーちゃんの苦痛を長引かせるという理由で渡航許可を認めませんでした。そしてヨーロッパの人権裁判所も同じ判断を下しました。 この裁判はイギリス国内はもとより世界中で注目を集めました。子どもの治療をとことん行いたい両親、その心情に同情する人も沢山いました。
本件で注意しなければならないのは、尊厳死を勧める医師団やこれを指示した裁判所が、治療のコストと助かる見込みを天秤にかけたというわけではなく、本人の感じるであろう治療の見込みのない過剰な医療による苦痛をどう評価したか、という点なのです。
尊厳死というのは過剰な医療を避け、尊厳をもって最後を迎えるための死をいいます。 病院に入院したり、手術を受けられたことのある方はおわかりかと思いますが、カテーテルやチューブにつながれた生活だけでも苦しいものです。寝返りが打てないだけでも相当苦痛です。それ以上に痛みや苦しみを伴うこともあります。特種な病気ならなおさらのことです。それでも入院患者が耐えられるのは比較的短期間で治る(見込みのある)からこそなのです。
人間にとって死よりも恐ろしいことは死ぬほどの苦痛を味わい続けること、ということの理解が十分あるからこその裁判所の判断なのです。
ただ、本件の難しいところは、本人が乳児でその内心はわからないことです。 ご両親にとってはこのチャーリー君が最後まで闘いたかったと思うのも無理からぬところ。 反面で治らない病気の為にチューブでつながれ痛い治療を受ける、それが本当に本人の望むであろう事なのか、裁判や法律が真実に迫るには回復の見込みしか手がかりがない状態では、限界はあると思います。
ただ、私はこの事件の本質がどこにあるのか、ということを見失うような報道がされると残念だなと思います。
ところで、何故か私の前には 私ね~叩かれたり痛めつけられるのが大好きなんですよ とストレートにおっしゃる不気味な同業者がたまに現れるのですが、
何でですかね?(◞≼●≽◟◞౪◟◞≼●≽◟)
平成29年11月1日 文責 弁護士 菊谷淳子